両利きの承継

両利きの承継

「孫が野球を始めたよ」と根っからのプロ野球ファンのO社長は嬉しそうです。大いに盛り上がったWBCの侍ジャパン効果とのこと。この孫に自分の会社を継いでもらいたいという密かな野望をお持ちです。

 

1.侍ジャパン

「この会社は俺の代でおしまい」とO社長は言いますが、どうでしょうか。出来れば孫の代まで残したい、という思いを時折感じます。

その孫がWBCの侍ジャパンをきっかけに野球に興味をもったそうです。夏休みにプロ野球を一緒に見にいくことが楽しみでたまりません。

WBCの波及効果は大きく、経営の世界でも「人的資本経営」とか「心理的安全性」とか、色々な切り口で語られています。確かに、栗山監督のチーム作りやマネジメントなどは良い見本になりそうです。

ただ、個人的に気になりましたのは「侍」のほうです。中世に始まった武士という存在は、明治には消えゆく存在となりました。しかし、今でも「サムライ」人気は衰えていません。

この「サムライ」のあり方も、時代と共に変わっています。「サムライ」は自分の領地を管理する経営者です。この「サムライ」という経営者の相続や一族の統制という観点からみると興味深いです。

武士は、朝廷や幕府、将軍とかの支配を受けたり、跳ね返したりしながら、経営者として所領である土地を一所懸命に守っていきます。

この武士の領土を会社の株式と捉えると現代のオーナー経営者が会社を一生懸命に守るのと似た構造にみえます。

 

2.武士の時代

鎌倉時代の武士は一家の長である惣領が将軍と主従関係を結びました。将軍は惣領に領地の支配を認める代わりに、将軍に軍役などを奉仕することになります(御恩と奉公)。

この時代、惣領に相続が発生すると土地は庶子を含めて分割して相続されました。相続が行われるたびに土地の細分化が進むため、一家の長である惣領の一族に対する統制権は弱まります。

創業者であるオーナー社長が全株式を握っていたのが、世代が代わり、相続が生じるたびに親族に分散していった結果、後継者の支配力が弱まるのと似ています。

逆に、力をつけた庶子は血縁より地縁を優先して独立するようになります。後継者より多くの株式を持つ親族が出てくるようなものでしょうか。

このため、南北朝時代には武士の間では、分割相続から嫡子単独相続が行われるようになりました。この単独相続であるが故に、家督をめぐる抗争が増えます。室町時代、戦国時代と混乱は続きます。

この家督争い問題を「どうする家康」が引き受けます。徳川時代に家制度のルールを確立して安定させます。ただし、男子が生まれなかった場合、親族から養子をもらう必要がありますので、親族関係が重視されるようになりました。

この武士のための家制度の仕組みが明治時代の民法に採用されます。戦前までは嫡子単独で家督を相続しましたが、戦後の民法で分割相続へと変更されます。つまり、オーナー経営者が自社株式の分散に悩む時代になったといえます。

 

3.後継者の育成と決定

明治維新により武士は士族となります。士族が時代をどう切り抜けたのでしょうか。士族が望んだ仕事は官僚、軍人でしたが、狭き門だったようです。

2003年に「武士の家計簿」という本が出版されています。幕末から明治時代を行き抜いた武士の話ですが、算盤を武器に海軍に出仕して、生活の安定をえます。孫も海軍にいれようと、先代も孫を熱心に教育する光景が描かれます。

もっとも、商人の世界は違います。明治時代になると法律で長子相続が決められてしまったため、正妻から生まれた子に限らず、庶子も含めて能力を見極めるまで認知しないこともあったようです。

商才のない子を後継者にすると商売が傾くわけですから、能力重視です。出来の良い順番に長男、次男と認知することもあったそうですから、究極の能力主義です。

明治期の実業家といえば「論語と算盤」の渋沢栄一です。渋沢家の家督相続は、長男を飛び越えて、孫に相続しています。後継者を育成するというのは、時代を超えた共通の課題です。

いつの時代も後継者の決定、育成は経営者を悩ませる問題といえます。さらには、分割相続の圧力もあります。事業承継の準備に早すぎるということはありません。

 

<まとめ>

事業承継は、経営承継と資産承継が両輪になります。
両輪の引き継ぎを意識した対応策の準備を始めていますか?