500年続く家賃が年間で約140円の社会貢献事業ーフッガー(独)

「21年ものの『響』は、美味しかったよ」と忘年会での会話です。机の上には電気ブランがあるのですが、話題は『響』『山崎』『オールド』等々、サントリーのウィスキーの話で持ちきりでした。

 

◼️水と生きるサントリー

忘年会では、今では入手困難な『響』の話や、印象に残るCMなど、サントリーに関する話題に花が咲きました。それにしても、サントリーのCMは印象に残っています。

「なにも足さない、なにも引かない。ありのまま、そのまま」(山崎)
「恋は遠い日の花火ではない」(オールド)
「少し愛して、ながーく愛して」(レッド)

反応して頂けるのは昭和生まれの方だけかもしれません。もっとも、忘年会の話題はサントリーでも、飲んでいたのは電気ブラン。翌日も痺れが残る結果となりました。

サントリーは1899年創業のファミリービジネスです。サントリーホールディングスの株式の約9割を握るのが寿不動産。その寿不動産の株式を公益財団法人と創業家一族で持ち合う構造になっています。

同社の特徴として、サントリーホール、サントリー美術館などの芸術・文化・学術面のみならず、バレーボール、ラグビー、チャレンジド・スポーツ・プロジェクトなど社会貢献事業に力を入れていること、そして、それが社会的に認知されていることです。

特に、飲料メーカーとして力を入れるのが水のサスティナビリティ。「サントリー天然水の森」という水源涵養活動は、全国22ヵ所、約12,000haの広さにもなるそうです。飲料メーカーだけに力の入れかたがすごいですね。

水源涵養活動とは、森林を保護し育てることで水源を守っていこうという活動のことです。サントリーのみならず、飲料メーカー各社が様々な形で取り組んでいます。

社会貢献、森林と書きつつ、ふと思い出したのが、ドイツの「フッゲライ(フッガライ)」(Fuggerei)でした。

 

◼️500年続く激安の賃貸住宅

森林と社会貢献の組み合わせで「フッゲライ」を思い起こしました。「フッゲライ」とはドイツにある世界最古の困窮者用の集合住宅です。HPを拝見すると1521年にヤコブ・フッガーにより建造されたとあります。

ちなみに、武田信玄が生まれたのが1521年。日本は室町時代というか戦国時代です。和菓子の「とらや」さんが室町時代後期の創業で約500年とのこと。さすが、長寿企業大国の日本とドイツ。

「フッゲライ」の家賃は年間フッゲライの家賃は0.88ユーロ。創立時から変わっていないそうです。

当時のフッガー家は世界の富の1/10を占め、イタリアのメディチ家の5倍以上であったと言われています。この富の源泉となったのはスペイン、オーストリア、神聖ローマ帝国などの王侯貴族に対する資金の貸付や貿易事業などでした。

フッガー家の事業そのものは、王侯・貴族の衰退とともに貸付事業が行き詰まり、運命を共にしました。しかし、社会貢献事業として運営されていたフッゲライは存続します。

フッゲライを運営しているのはフッガー公益財団。財団の資産の大半不動産(土地、城など)ですが、約9割は森林です。この森林から伐採される木材の販売収入により500年間もの間、慈善住宅が維持されているのでした。

現在でもカトリックを信仰するアウグスブルク市民約150人が、年間0.88ユーロ(約140円)と1日3回の礼拝することを条件に居住しています。度重なる戦禍を乗り越え、約500年続いたとは驚きを隠せません。

ちなみに、作曲家のW・A・モーツァルトの曽祖父が1681年から1693年までフッゲライに住んでいたとの記録もあります。その頃の日本では1680年に徳川綱吉が将軍となり、1689年に松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出ます。

今ではドイツにおける企業の社会的責任を実践した事例として賞賛の対象です。しかし、500年前にフッガー家は社会貢献事業を始めたのかを調べると、興味深い話があるのです。

まず、フッガー家に対する庶民からの批判を和らげる狙いがありました。特に、同時代を生きたマルティン・ルターはフッガー家と共に、カトリック教会を批判しています。

さらに、キリスト教では金融の貸付事業は好ましいものとはされていないため、フッガー家としてはその贖罪として困窮者用の住宅が建設したという動機があったのです。

当時のカトリックの考え方では天国と地獄の間に煉獄があるとしていました。地獄に落ちるほどではない程度の罪を犯した者が、贖罪のために一時的にとどまる場所が煉獄になります。

この煉獄をより早く出るためには、善行を積めばよいとされていました。このため、フッガー家として救済事業である賃貸住宅を運営することにしたのです。純粋な社会貢献というばかりではなかったのですね。

いずれにしましても、フッゲライが500年続いたポイントはフッガー家の次の家訓にあります。

・フッガー家の相続は男子のみに制限
・不動産を第三者に売却することを禁止

今でも財団の運営は、3つのフッガー家の家長が代表者となる評議会で重要事項は決定されているようです。

 

◼️この世に残すもの

フッガー家は商業の繁栄を謳歌したのち、没落しましたが、フッゲライという社会貢献事業を残しました。

「とらや」さんが500年続く一方で、460年の歴史に幕を下ろしたのが岐阜県の「太田屋半右衛門」さんという老舗の和菓子店です。2004年に16代目が急逝したため、2010年に廃業となりました。

「太田屋半右衛門」さんの名物のお菓子「笠松志古羅ん(しこらん)」は豊臣秀吉が名付けたと伝えられています。この銘菓も廃業と共に途絶えるかと思われました。

この「笠松志古羅ん」を存続させようと地元の和菓子職人の方々が立ち上がります。承継されてきた製法を地元の和菓子職人の方々が受け継ぎ、いまでは笠松町菓子組合のお店で買うことができます。

サントリーは創業120年。500年後もサントリーとして残っているのか、それとも別の形で残っているのか、興味深いですね。お酒の名前は伝わりやすので、「山崎」「響」はそのまま残っている気がします。

余談ですが、公益財団をみずから作って運営していくというのも立派なことですが、なかなか手間もかかります。財団を作る代わりに、信託銀行に事務を委託する公益信託という仕組みもあります。ご存知でしたか?

社会貢献が大事、と大上段に構えるというより、ファミリー、ビジネス、オーナーシップが同じ方向を見つめてコミュニケーションをとることが出来ることに価値があるように思えます。

一年を振り返る時期となりました。何を、だれに、どのように残しいていくか、ということを考えてみるのも良いのではないでしょうか。